【調査研究Ⅰ】学びの調査地⑤ 福島県二本松市(1)
「外で遊びたい」「放射能なくなれ」「原発なくなれ」
議論の場づくり、対話の作法という気づきにつながった学びとして、2012年の3月に個人的に訪問した福島県二本松市、福島市での素敵なみなさまとの出会いを書かずにはいられません。そこで、まずは二本松市での学びから記したいと思います。
二本松市にある真行寺(浄土真宗大谷派)のご住職で、お寺に併設されている同朋幼稚園の理事長をされている佐々木道範さんは、東日本大震災とその後の福島第一原発事故をきっかけに、NPO法人「TEAM二本松」をたちあげ、活動されてきた方です。
2011年3月14日。ご近所の方たちが避難していたお寺のテレビに、原発が爆発する瞬間が映ります。ですが、その数十秒後には、まるで何ごともなかったかのように、爆発前の画像にテレビの画面が切り替わったそうです。そのあと開かれた政府の記者会見で、枝野官房長官(当時)は「健康に直ちに影響はない」と繰り返しました。佐々木さんは、「直ちに」という日本語の意味が分からなくて気持ち悪くなったそうです。その思いはご近所のみなさんも同じで、画面が切り替わった気持ち悪さも相まって、本当は何が起こっているのか分からない、とにかくこどもたちだけでも何とか避難させようとすぐ行動に移ります。ワゴン車2台を用意し、なんとか新潟まで行けるだけのガソリンを、みなさんの車のタンクからかき集めたそうです。そして夜には、お母さんとこどもたちが2台のワゴンに分乗して出発します。
だいぶ経ったあと、二本松市を放射能プルームが通り過ぎたのは3月15日だったと判明します。佐々木さんをはじめ、おとなのみなさんの迅速な判断と行動で、こどもたちの被害は免れたわけですが、そのあと、地域が次第に日常を取り戻していく過程で、佐々木さんは悩みに突き当たります。
幼稚園が再開しても、放射性物質が降り積もった地域では、こどもたちが自由に外で遊べない状況が続きます。でも、幼稚園の子どもといったら、外で思いっきり体を動かしたい盛りです。なのに、おとなたちは、それをわかっていてもなお、「そっち行っちゃダメ」「側溝を触らないの!」と注意し続けなければなりません。
「外で遊びたい」「放射能なくなれ」「原発なくなれ」という言葉は、そういう状況のなかで迎えた7月の冒頭の七夕飾りの短冊に、幼稚園の年長さんたちが記した想いなのです。
こどもたちに、もうこんな思いをさせたくない。こどもたちが思いっきり体を動かせるようにしたい。家族が幸せに暮らせるようにしたい。
にもかかわらず、行政の動きは鈍く、半年たっても除染がなかなか始まらない。
そういう状況に業を煮やした佐々木さんはじめお父さん、お母さんたちは、だったら自分たちで除染しようと、NPO法人「TEAM二本松」を立ち上げられたのです。
くわえて、TEAM二本松では、こどもたちに安全な食を届けようと、寄付金を元手にシンチレーターを購入し、食材の放射能検査も実施してきました。
そんな佐々木さんは、「言葉にならない声を聴くこと」、そしてそこから「相手がどうなるかというイメージを膨らませること」がとても大事だといいます。
「余力のある人は声出せるけど、それか権力のある人だったり。力のある人だったり。そういう声は出てくるけど、本当にしんどい人は声も出せない人もいるでしょう?」
だから、避難所でお年寄りとお話しては一緒に泣いたり、中学生の悩みを聴いたりと、対話を続けてこられました。
そんな佐々木さんの活動から、対話するとはどういうことなのか、相手の声を聴くというのはどういうことか、という点で、ほんとうにたくさんのことを学ばせて頂いています。
※1 佐々木さんへのインタビュー記録も、最初の科研費の中間報告書に掲載しています。ご希望の方は澤までご連絡ください。